唐津人の常識、「一閑張り」に物申す

作:@神田中村 編:唐津人@巣鴨
2005年11月23日制作
〔唐松板・研究序説スレ648-652番レス 2005/11/22〕



唐津人の常識、「一閑張り」に物申す・1

いつかこういう事を言われるだろうと、かなり前から危惧してはいましたが、実際面と向かって
言われると結構こたえました・・・それでは久々に考察シリーズです。

自分の趣味の一つに、休日に時間が出来ると曳山展示場でぼーっと過ごす事があります。
先日も久々に14台に囲まれて至福の時を過ごしておりました・・・が・・・。

展示場で流れるくんち紹介のDVDを見ていたご婦人が一言、
「あら!これって一閑張りなの?へぇー・・・そうは見えんねえ・・・。」
正直、ついに来たかと思いました。その時、自分はそのご婦人のすぐ後ろに立っていたので、
一応曳山の造りを説明しました。すると・・・
「さっきビデオで2トンから5トンって言ってたけど大袈裟じゃない?だって一閑張りでしょ?」
と、かなり困惑されています。もしやと思ってご職業を聞いてみると、案の定、ハンドクラフト
の先生との事でした・・・。それではこの件についての説明と自分の考証を書き綴っていきます。


唐津人の常識、「一閑張り」に物申す・2 〜「一閑張り」の起源〜

唐津の人間でくんちと曳山に興味のある者にとっては、「一閑張り」と言う言葉はもはや常識
となっています。それがどんなものか、おそらくは概要は一通りみなさん説明はできるでしょう。
唐津市ポータルサイトの説明
『「漆の一閑張」、本体を木組みし粘土の原型や木型の上に和紙を数百枚貼り重ね、麻布等を張り、
幾種類もの漆で塗り上げ、金銀を施して仕上げたもの。』

くんちに関わるほとんどの方はこう理解されているでしょう。しかし、残念ながら
これは実は日本中でも唐津でしか通用しない「常識」です。

『一閑張りの歴史と洗練』
それでは真の一閑張りとはどのような物なのでしょう。時代は桃山時代まで遡ります。
中国では明から清へ時代が移ろうとしていた激動の時代。その時代の流れを避けるように
日本へ亡命してきた一人の男がいました。その名を「飛来一閑(ひきいっかん)」。
彼は日本の静かなたたずまいに感銘を受け、有名な茶人でもあったある住職様のもとで
茶の湯に親しむ事になります。
身一つで亡命してきた彼は、茶道具を揃えたくても財が無い。そこで身の回りにあった
紙を木型に張って塗りを施し、棗や茶盆をこしらえて清貧なる茶の湯を楽しんでいました。

やがてその素朴で朴訥な張子の味わいに感銘を受けた茶道裏千家第三代宗匠、千宗旦によって
茶道具の作成を依頼されるまでになったのです。「一閑張り」の誕生です。


唐津人の常識、「一閑張り」に物申す・3 〜一般常識としての「一閑張り」〜

さて、最初に戻ります。なぜあのハンドクラフトの先生は「一閑張り」と聞いて
あんな反応をしたのか・・・・・。

実は今日本で「一閑張り」と言えば、ほとんどの方はこういったものを 思い浮かべるはずです。

試しにYAHOOなりGoogleな りで「一閑張り」を検索してみてください。
でるわでるわ、柿渋で手作り・ざる張り教室・・・・・・・・・

前述した本来の一閑張りは、最終的には漆塗りの芸術品の高みに上りつめました。
しかし、一閑張りが生まれたばかりの頃は素人の手習いであり、言い換えれば素人さんの
手習いにはぴったりだったわけです。比較的簡単に、しかも安価に、できばえは結構見栄えがする
と言う事で、そのテの教室が日本中に広まっていきました。唐津でもカルチャーセンターで
教室が開かれているくらいです。・・・・・・・

ここで再び要約します。つまり一般的に言う「一閑張り」とは
『古くなったザルや籠に紙を張り、柿渋で塗り固めて再利用できるようにした日用品』の事です。

・・・・・このイメージで赤獅子を想像してみて下さい・・・・・ヽ( ;´Д`)ノ



唐津人の常識、「一閑張り」に物申す・4 〜唐津曳山の「一閑張り」そして「脱乾漆」〜

これまで、「本来の一閑張り」と「一般的に言う一閑張り」の違いを説明してきました。
いよいよここで曳山の登場です。しつこいようですが、再度書きます。
唐津市ポータルサイトの説明
『「漆の一閑張」、本体を木組みし粘土の原型や木型の上に和紙を数百枚貼り重ね、麻布等を張り、
幾種類もの漆で塗り上げ、金銀を施して仕上げたもの。』

本来、一閑張りは茶道具の為に生まれたもので、このような巨大なものを造るための技法ではありません。
実は曳山作成の工程では、「紙を張り抜く」「漆で仕上げる」という2点しか一閑張りとの共通点が無いのです。
じゃあ曳山はどういう造りなのでしょう・・・。調べに調べました、約一ヶ月・・・。キーポイントは「麻布」でした。

一閑張りと曳山造りとの最大の相違点はその大きさと「麻布張り」です。
[画像1]
[画像2]

上は魚屋町の尻尾蓋、下は呉服町の喉当てです。両方共、何百枚もの和紙と、それを覆い尽くす麻布
の存在が見て取れます。単なる補強にしては、各町内とも作成方法に統一性があります。
もしかすると麻布を使った巨大構造物の造り方があったのではないかとアタリをつけました。
・・・・・・・・・そしてようやくこれにたどりつきました。

『脱乾漆』
http://www.bunkaken.net/index.files/kihon/zaishitu/kanshitu.html



唐津人の常識、「一閑張り」に物申す・5 〜曳山作成法の呼称への提言〜

型を使った張り抜きの技法、漆を幾重にも塗り重ねる、巨大な物体を軽く造るための技術、
歪みを防ぐ為の芯木(竜骨)の存在。・・・・・脱乾漆のあらゆる技術が曳山の作成法と重なります。

但し、ここには唐津曳山のもう一つの特徴である「和紙」の存在が全く出てきません。

「一閑張り」と「脱乾漆」。この二つの優れた技術を掛け合わせた時、初めて唐津曳山は
その姿を現したのではないでしょうか。仏像製作技術である脱乾漆だけでも曳山は
造れたはずです。そこに美術工芸品製作技術である一閑張りの技法をミックスさせた唐津の先人
こそ、賞賛に値する人々だったと自分は思います。

であれば、唐津独自の呼称を与えるべきだったのではないでしょうか。

今更「漆の一閑張り」という呼称は変えられないでしょう・・・しかし、これからも
「一閑張り」と聞いて柿渋張子を思い浮かべる観光客の方はいらっしゃる事でしょうし
自分的にはあまり納得がいかないのも事実です。「からつ張り」?「ヤマ漆」?

・・・・・・・・・どなたか、良い知恵をお貸し下さい・・・・・・・・・


                                        終了。


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