〜曳山まにあ・おじゃがの独り言〜 その14
七町八町事件


曳山好きの人なら一ぺんは聞いたことのあるて思います。
明治初期、水主町で水に因んだ『竜王(竜王丸)』ば造ろうてしよったらしかとです。
ところが江川町も走り山から曳山『七宝丸』ば造るちゅう話の出たとです。
水主町は元々船頭の町で唐津城下町に含まれとりませんでした。

そこに元武士の町、江川町に遠慮したとでしょう。
急遽作成中止にして別のヤマば考えなならんごてなったとです。
そこで鯱ば造るごて話の決まって遅れば取り戻すべく急ピッチで完成させたとです。
ところが完成が早かった方が奉納するのが遅かったらしかとです。(どっちのコトか解りません)

ご存知の通り現在は完成順でヤマば曳きよります。どっちが先にヤマば曳くかて
揉め事に発展して、各曳山持ちの町内と協議した結果、七町と八町に意見の割れて
しもうたとです。
結局意見は堂々巡りになってしもうて、見かねた大石町神社が仲裁に入って
順番ば交代しながらヤマば曳くちゅう意見で決着のついたとです。

現在でも四日に町回りばする時に我がん町に往くときに後になるごて順番ば
入れ替えよります。

このときに大石町神社も巡幸に参加する様になったんですね。

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